少しさっきのページ読んだけど、人間関係に疲れる→実験に身が入らない、の悪循環にはまるとしんどいなと。行き詰るのは決してそれらだけではないだろうけども。ただ博士取るにしろなんにしろ、生きていくには少しくらい図太くて狡猾(?)でないとやってけない面はあるよね。奇麗事ばかりじゃないし。

ただ、研究室の良し悪しは、教授がいい人か、先輩にやる気のあるやつがいるか、それなりにお金があるか、学校の設備はどうか、無くてもアイデアが湧き出してくるか、ってのが複雑に絡んでると思う。幸い僕は、それなりにいい先生、それなりにいい先輩、それなりにいじって面白い後輩、それなりのお金、それなりの設備、には恵まれたと思っている。けんかもしたけど、今ではよかったかなと思っている。
分野にもよるだろうけど、僕の専門の有機化学系に関して言うと、合成系は猫の手状態でやる気次第、少し物理が入ってるほうが勉強した気になってはまるやつははまる。ナノとか言っとけば学生受けはいい。でも、何がいい悪いじゃなくて、本人が面白いと思えばある程度許される。ショーもない研究もあるけど、そういうのがあるから学問と言えるんだろう。
僕は、何事も死んでしまえば終わってしまうのでとりあえず何でも”やれるなら”やってみたらいいんじゃないの、あとで後悔するの嫌いだしって思って生きることにしている、あるいはそう振舞うようにしている。
上のやつ等をどうこうしてやろうってのもあるけどその中には凄いのもいればバカもいる。それに比べて後輩達を”いい意味”で騙してやるのは、後々結構重要になるんだと思う。
[追記]結構ふかくまで読んでみた。
博士に行くあるいはアカデミックに残るってのは不幸なのか?っていう前提をどうにかしないといけないんじゃなかろうか。一つの職業としてみた場合に、果たして大学人はそんなに特別な存在なのか?と。画家とか音楽家なんてのはもっと苦労してる人いるよきっと。末は博士か大臣かって言われてた時と違って、今は(も?)博士なんてのは、ちっぽけな存在に過ぎないと思うんだ。自己実現のための資格としてのツールだって割り切って認識しないとダメダメじゃないのかな。